私が頸髄(c1.c2)を受傷したのは2004年10月3日、日曜の夕方でした。
当時高校3年でセンター試験を3カ月後に控えていて、三宮の図書館から自転車で帰る途中でした。
財布に入っていたレシートの情報によると、帰宅途中書店で参考書を購入していたようです。
当時はHAT神戸の西の端は自動車は行き止まりで通行量もほとんどなかったため、HAT神戸に入ったところの下り坂で自転車のペダルを思いっきり漕いで加速するのがいつものパターンでした。
当日も車が来ないので車道をいつものように走行していましたが、反対車線を走る車が気になりました。
恐らく「行き止まりだからUターンしてくるな」なんて考えていただろうその時、衝撃があって身体が吹っ飛びました。
このころはこの辺りは路上駐車している車両が多かったのですが、対向車に気を取られて停車中のトラックに追突してしまうとは思ってもみませんでした。
体力維持のためにリュックサックに参考書と辞書2冊プラス部活で使用していた砂を詰めたペットボトルを入れていて総重量が10㎏以上あったので、身体にはかなりの衝撃だったようです。
「しもた~!」と言って、慌てて起きあがろうとしても身体に力が入りません。
背中を打ち付けたからか呼吸もまともにできず、息苦しくて寒気を感じるようになってきました。
だんだん「ひょっとして首を折ったのでは? 」と感じるようになりましたが、車がほとんど通らない場所なので誰も来ません。
強烈な眠気が襲ってくるようになりましたが、「このまま眠ると恐らく死んでしまう」と感じ必死に耐えていました。
追突時の音に気がついて見に来た人にようやく見つけてもらえましたが、出血しているわけではなかったのでなかなか状況を把握してもらえません。
「大丈夫?」「何かあったの?」「ここに人が横になっている」「どうする?」…。
とにかく救急車を呼んで欲しいのですが、自分で意思表示ができるわけではなくもどかしかったです。
ようやく救急車を呼んでもらうことになり、「あともう少しで到着する」と言われた時に「日赤病院まで3分 もかからないから今呼吸が止まっても死んでしまうことはないな」と安心して眠りにつきました。
その後は私の意識はないのですが、救急車で搬送中に呼吸が止まり人工呼吸器を装着したそうです。
よくドラマとかで亡くなる前の人が「寒い」「眠い」というシーンがありますが、あの時の私はまさにそうだったです。
次回以降、入院中のことについていろいろと書いていこうと思います。
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