新型コロナウイルスに感染 (頸髄損傷者の自宅療養体験記)

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はじめに

2020年の始めから続いている新型コロナウイルスの世界的な流行は 2年半がたった今でも終息の見通しが立たないままでいます。ウイルス自体は当初よりも重症化しなくなってきている一方で、感染者数は大幅に増えていて制度が追い付かずに保健所や医療機関がパンクしてしまうという問題も出てきています。頸髄損傷者である私も1月末にコロナに感染して、10日間の自宅療養を経験しました。感染してからすでに半年以上がたちましたが、当時の経験について記したいと思います。

突然の発熱

私の体調に異変が起きたのは1月下旬の月曜夕方でした。その日は朝から便が出そうな感じがあり、尿の出も悪い状態が続いていました。昼過ぎに強烈な眠気があったりはしましたが、「ちゃんと眠れなかったのかな?」とあまり気にかけてはいませんでした。
ところが、夕方に熱を測ってみると37.8度!朝から尿の出が悪かったので、「これは尿路感染に違いない」と判断し、通院先の病院に事情を説明して救急外来を受診できないか相談しました。病院から通院の許可が出て、さっそく受診するために徒歩で病院に向かいました。基本的に発熱がある場合は自家用車かタクシーで行くことが求められますが、自家用車を持っておらず車椅子対応のタクシーもすぐに手配することは難しく、病院の近くに住んでいるということで徒歩での来院が認められました。
病院に到着後しばらく玄関前で待機した後に診察室に通され、軽い問診の後に膀胱内の尿を導尿で排出してもらいました。ところが、尿検査の結果は特に異常なしでした。便が尿道を圧迫して尿が出にくくなっていた可能性も考えられたので便通を良くする薬を処方され、念のためにPCR検査を行った後にそのまま帰宅しました。
しんどかったので帰宅してからすぐに就寝しました。PCR検査の結果が翌日に出るので、念のため検査結果が出るまでの間のヘルパーサービスはキャンセルしました。この時はまだ自分がコロナに感染しているとは全く思っていませんでした。

まさかの陽性に慌てる…

翌朝に病院からPCR検査の結果が陽性だったと連絡がありました。近所のスーパーに買い出しに行くぐらいしか外出しておらず、自分の周りにも感染した人はいなかったので感染経路は分からないままです。
それからは保健所とのやり取りを何度も行いました。保健所からの聞き取りの結果、ヘルパーについては訪問時にマスクを着用していたので濃厚接触者には当たらないという事でしたが、毎朝ゴミ出し等で来てくれていた父親については、マスクを外した状態で身体介護を行っていたことがあったため濃厚接触者に認定されました。
療養の方法については、私が一人暮らしの重度障害者で自宅療養が難しいので、入院する方向で調整を行うことになりました。この時点では入院がほぼ確定したと思っていたので、利用しているヘルパー事業者にはしばらくサービスをキャンセルすることを連絡していました。
ところが、夕方になると熱が下がってきました。夜になって自宅にパルスオキシメーターが届けられ、さっそく測定してみましたが、血中酸素飽和濃度は97あり正常でした。

パルスオキシメーター

症状が落ち着いたために自宅療養になることに…

翌朝にはすっかり熱は下がりました。午前中に保健所から症状の確認の電話があり、体温と現在の症状を伝えました。前日に届けられた書類の中に療養の流れについて書かれたパンフレットがあり、基礎疾患のある人は原則入院と書いてありました。「入院だと療養期間が終わるまで寝たきりだろうから体力はかなり落ちるだろうなあ」と思いましたし、「生活全般に介助がいるけど対応できるのだろうか」とちょっと不安もありました。
ところが、夕方に保健所から症状の確認の電話があり熱がないことを伝えると、「現在の症状では入院には当たらず、自宅での療養になります」と言われ、自宅で療養することが決まりました。自宅であれば慣れた環境で過ごすことはできますが、入院を前提に話が進んでいたのですでにヘルパーさんの訪問を断っていました。仮にヘルパーを派遣してくれたとしても利用している事業所数が多く、短時間で訪問するヘルパーさんの人数を少なくする調整を行うのは不可能です。幸い濃厚接触者に認定された父に症状は出ておらず在宅勤務もできる環境にあったので、療養期間中は父に介助をお願いすることになりました。

異常があってもすぐに診てもらえないという現実

自宅であと7日間療養することが決まりましたが、熱は下がっていたのでなるべく普段通りの生活リズムで過ごすことを心掛けました。朝実家から父が来て、夜まで私の自宅で在宅勤務をしながら介助してもらっていました。同じリビングで過ごしていたので、父が職場のミーティングや電話対応をしている時に咳き込みが止まらなくなって相手を不安にさせないか気を使いました。テレビのニュースはコロナの話題ばかりで気が滅入るのでパソコンを触ったりしていましたが、咳き込みで音声認識もなかなかうまく使えず、数時間ごとにベッドと車いすを移動する生活になりました。
自宅療養の間も1日に1回は保健所から現況確認の電話がありました。当時は感染者数が急増していて療養者全員に連絡することができなくなっていましたが、私の場合は重症化リスクの高い患者であるとの情報が伝えられていたので毎日連絡があったのだと思います。熱が下がったのでこのまま何事もなく療養期間を終えることができるのかなと思っていたのですが、そうすんなりとは行きませんでした。木曜日になると今度は下痢が続くようになり、余計に体力を消耗しました。自宅療養だったので汚れるたびにシャワーで身体を洗うことができたのがせめてもの救いでした。
金曜日になってようやく下痢はおさまりましたが、午後に排尿すると尿に血が混じっていることに気がつきました。下痢をしていたことから尿路感染が原因の一つとして思い浮かびました。熱は出ていませんでしたが、頸髄損傷者にとって尿路感染症は気をつけなければいけない感染症です。とりあえず保健所に経緯と今後の対処について問い合わせてみましたが、さすがに保健所では判断がつかないので病院に相談してほしいと言われ、病院に電話をかけましたが金曜日の夕方だからか何度かけてもつながらず…。その間に保健所からも病院に問い合わせていたらしく、「療養期間中であるので、週末の様子を見てからにしてください。」と指示がありました。普段なら「何か変わったことがあったらすぐに病院に来なさい」と言われていますが、コロナに感染してしまうとそういうこともできないという現実を知ることになりました。幸い療養期間が終わるまでの間に再び血尿が出たり発熱したりということはありませんでしたが、何か起きてもすぐには対処してもらえないということには不安を感じました。

長かった自宅療養がようやく終了

世間では節分で恵方巻きを食べている2月3日に保健所から最後の現況確認の電話があり、私の自宅療養が終了しました。保健所からは「明日から外に出てもいい」と伝えられていましたが、入る予定だったヘルパーさんが家族が濃厚接触者の疑いがあると連絡があり、翌日の介助も父にしてもらいました。翌日からは私自身は自由の身になりましたが、濃厚接触者に認定されていた父の待機期間は私の療養期間が終了してからさらに1週間かかり、感染した私よりも長くなってしまうのが気の毒でした。
療養期間が終了してからも 1カ月ほどは観察期間として、毎日検温と血中酸素飽和度の測定は行いました。1カ月の間に特に熱が出ることはなく、保健所から貸し出されていたパルスオキシメーターは1カ月後ぐらいに返却しました。ただ療養期間中に下痢をしていた影響からか、療養が明けてすぐの泌尿器科の尿検査で細菌の量が多く出て抗生物質を処方されました。
療養期間中に体力はかなり落ちましたが、少しずつ回復して外出できる時間も徐々に増えてきました。ただ咳きこみは療養期間中と比べると落ち付きましたがしつこく残り、今でもちょっとしたことで咳が出やすくなつたなと感じています。

自宅療養を経験して

今回コロナに感染して自宅療養を経験して感じたことは、「重度障害者が自宅で療養していくのは周りのサポート体制がないとかなり難しい」ということです。特に私の場合は一人で暮らしているので、何か容体が急変した時にすぐに助けてもらえない不安というのは感じました。たまたま今回は実家からのサポートを受けることで過ごすことができましたが、両親のサポートを受けることができない状況で自宅療養をすることになっていたら大変だったと思います。当時は介助が必要な障害者が自宅療養を行う場合の想定がそれほどされておらず、ヘルパー事業所からヘルパーさんを派遣してもらえるかどうかも微妙な時期でしたから「うちの事業所からは派遣できません」と言われていたかもしれません。
あれから2年以上が過ぎ、新型コロナは5類に移行したので今は当時ほど大騒ぎにはならないと思います。ただ初期よりも弱毒化したとはいえ、今でも感染したら肺活量のない私にとってはダメージは大きいでしょうし、すべてのヘルパー事業所が療養期間中もケアに入りくれるかどうかは分からないです。過剰に恐れる必要はないと思いますが、今でも気をつけるのに越したことはない病気だなとは思います。

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